Twitterを辞めた理由。
2021年1月5日、
今日、まる1年間続けたTwitterのリアルアカウントを消した。
理由は、呟くことがないこと。個人的にだけど、日常を垂れ流すツイートに何の魅力も感じなかった。
とても素晴らしい方に出会えたけど、なんとも自分が無価値に思えてね。くだらないと嘲笑されそうだけど。
輝いている人には理由がある。もうそんなこと分かりきってたはずなのにな。
いろんな感情が流れ込んでくる感じも疲れた。キラキラしたもの、ふんわりした日常、ドス黒いもの、見たくも無いもの。
流されやすい性格なのが災いして、1個1個、目に入るツイートに自分の感情を入れてしまい、疲れた。
Twitterに対する向き不向きを調べたりもした笑
そこまでしてやりたかったものなのかな、って思ったら、アカウントを消していた。
ちょうど1年だし、キリもいいやと。
誰にも言ってない。言ったところでどうにかなるわけでもないし、構ってちゃんにもなるつもりもない。ほんと言うと気づいて欲しくはあるけど。
その感情にくだらなさを感じる方が大きい。
誰ひとり傷つけず、誰ひとりからも傷つけられない場所に行きたい。そんな場所はないことも分かってはいるけれど。
自分の言葉で、誰かが嫌な思いをするのはもうたくさんだ。そういう言葉しか吐けない自分も最低だ。
最低だと感じ続けることにも疲れた。
これでもしかしたら数少ない繋がりは絶たれるかもしれない。それでも仕方がない、ってスッパリ切りたくない気持ちもあるけれど。
……こういうどっちつかずがまた誰かを苦しめるし、自分自身も苦しむ。
思い返してみたら、もともとTwitterは自分にとって『情報取得ツール』だったんだよなぁ。
10年……くらい前だっただろうか。アフィリア・サーガイーストのメンバーの画像をストレスなく見たいがためにアカウントを作ったのをふと思い出した笑
その時は自分のつぶやきを発信することは無かった。
5年くらい前の自分にとっての『事件』以降、交流も兼ねてアカウントを再度作り直した。
その時からずーーーっと違和感があった。なにが楽しくてこれをやっているのか。
たまに来るいいねが欲しい?リプがほしい?
くだらない。
そもそもそういうものと無縁で生きてきた人間の言葉になんの価値があるだろうか。ないだろう。悲しいけど。
誰かに必要とされたい。認めてもらいたい。おおげさかもだけど、その承認欲求との戦いの日々だったかもしれない。
もういいだろう。もうじゅうぶんだろう。
メンヘラだと言われても仕方ない。実際そうだと思う。
疲れた。とにかく疲れた。。
フォローしてくれている、フォローしている人のツイートを見て一喜一憂する自分の弱さに。
つらつらと、だらだらと綴ったけど、
結局『おれにはTwitter向いてなかったなーとおもった』って話。